僕らは時折、虹の橋の麓へ行ける 〜旅立ちの後(後編)

こんんにちは、管理人です。

先日配信にしました


の後編となります。
初めてこのサイトを訪れた方は上記記事からお読みになることをお勧めします。

ともに寄り添って過ごしてきた命を亡くされた方の気持ちが不安定であったり、整理がつかなかったり、寂しさが消えなかったり、そんなときに試してみて気持ちが癒える、楽になるかもしれない方策をいくつかご提案いたします。

先に申し上げておきますが、管理人はセラピストでもその手の類の資格を持った人間でもありません。
あくまで経験則であったり、周囲を見渡して割と良いやり方だと感じる方策をご紹介します。

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・思い出して泣く

辛い感情で涙を流す、人間の行動としてとても自然なことです。でもここで大切なのはこれから先も「悲しんで」泣くということではないということなのです。
たまに「いつまでも泣いてんじゃない!」と叱る人がいるかもしれませんが、気に留める必要はありません。
その辛さで毎日できていたことができなくなることを咎められるかもしれません。咎められた「こと」が悲しみを抱えてでもやらなくてはいけないのであれば、それは「人間社会」の宿命であり、責務です。できればそちらを優先してください。誰かに手を貸してもらえるなら手伝ってもらってください。決して恥ずべき行為ではありませんし、手を差し伸べてもらえない社会など価値はありません。
<ただ、そんな「こと」はそれほどに多くはないと僕は思っています。 「明日できることは、今日やらない」という選択肢はいつでも用意されていることを気持ちの片隅に置いておいてください。

昨日まで脈打ってくれた命の灯が消える、仮にそれが予見できていたとしても照らしていた灯が消えれば心の部屋はどうしても暗くなります。それは仕方のないことです。でも「諦めてください」と言っているのではないのです。その暗くなった心の部屋を無理に明るくするのではなく、部屋の暗さに心の目が慣れてくるのを泣きながらでもよいです、待ってみてください。

昨日まで聞こえていた声、お気に入りの場所でみる残像、かつて開かれた眼(まなこ)、きっと脳裏に焼き付いていると思います。
「思い出すのもつらい」と感じるのであれば心の部屋の暗さに目が慣れていないのでしょう、それまでゆっくりと待ってみてください。そして不意にその思い出が脳裏をよぎったとき、あの悲劇の日とは少し違う「温かさ」を感じることができたなら、その温もりはもしかしたら心の部屋を照らす種火になるかもしれません。
種火だと思えたのなら、その種火を心の暖炉に入れてみましょう。消えた灯が生んでくれた種火は速度を速めながら温度を上げ「悲しくて」泣いていた涙が「うれしくて」「ありがたくて」という温もりの涙に変わるかもしれません。

その時改めてまた「思い出して泣く」ことを試してみてください。灯が消えた日とは少し違う涙が流れるかもしれません。
でもいつまでも「温もり」を感じられないのなら、この方策をとるのは今はやめておきましょう。でも、できない自分を責めたり下を向く必要はありません。

・写真や動画を眺める

今では便利になったものでデジタルの色あせることのない写真や動画を残す技術が簡単に手に入るようになりました。それらを一つ一つ、ゆっくりと(難しいとは思いますが)何も考えず眺めてみてはいかがでしょうか。
ここで気をつけていただきたいのは「もうこの写真でしか姿を見ることができない」という気持ちの眼差しを向けないことです。写真を眺めるとすればその時の写真に入りきらなかった風景を、動画であれば動画を撮ろうとしたときの前後やその時の香りや騒音を画像のそれに乗せてみてください。
ほんの一瞬でも楽しい気分にはならないでしょうか。

映像に詰め込まれたものはわずかな情報しかないかもしれませんが、そのときレンズを向けた場所は四角い映像では収まりきらない、収めることのできない記憶を呼び覚ますことができるのです。
その瞬間に自分を戻してあげてみてください。辛いと感じたら目を閉じて同じように行動してみてください。
そうして「私のところに来てくれて、ありがとうね」と言葉を呟いてみてください。

僕は闘病記にある通り、経済的な理由でロンさんを亡くした後すぐ転居を余儀なくされました。それでも写真を見るたびに自分がかつて住処としていた室内、それを取り巻く風景、お友達の顔などを克明に思い出せて、ロンさんと散歩をする空想ができるようになりました。
そのロンさん、車いすに乗っていません。僕が「車いすに乗ってなかったら多分こうだろうな」という気持ちで散歩をします。
画像から得られる情報を道しるべにまた新しい日々をつづればいいのです。その過程に「空想を含んではいけない」という決まりはありません。

僕は引っ越し直後は後悔や自責の念が絶えずついて回りました。そういった苦しみもありましたが、写真を眺め「ありがとうね」と繰り返すことで、襲い来る苦しみを徐々にやり過ごすことができるようになったのです。
寂しい気持ちが襲い来る回数は今でもさほど変わりません、増える時もあります。ただそれをやり過ごす手立てを得ただけです。

僕は「ラヂオの時間」という映画が好きなのですが、劇中のセリフの中に
 「ラジオドラマというものは素晴らしい。こちらが『ここは宇宙』と言えば聴き手は勝手に舞台を宇宙にしてくれる」
という旨の語りがあります。その言説を僕なりに改変し利用させてもらいました。

世では「ネガティブな思考はよくない」だとか「過去は振り返らず前を向いて歩け」という邪教で満ち溢れていますが、それに流される必要はありません。
歩む人生の中において常に走り続けたまま老いて人生を終えられる人間など存在しません。
時には立ち止まり、振り返ったとき見えるその景色は今いる地点の礎となったことに間違いないのです。その礎の正体を知らずに走ると大怪我をするように仕組まれています。

・経験者と話をする

すこし乾いた言い方をすれば、何もこの広い世界であなたが最初に大切な命を亡くした被害者というわけではありません。
「そんなことはわかっている」と頭では思いつつも悲しい気持ちは簡単には拭えません。むしろそれで拭える方が珍しいです。
つまり、もっと先に同じような悲しみを背負いながら生きているひとがたくさんいるのです。その方たちと話をしてみませんか。
もし可能であればその亡くされた灯と共に歩んだ近しい人がいいでしょう。親類縁者というわけではなく、一緒に散歩など一時でもその灯のもとに立ち寄ってくれた方でもよいのです。

よく言われる日本語の中に「思い出話に花を咲かせる」というものがあります。
「あのときあんなことあったよねー」と辛い過去があった思い出話でも「花」は「咲」くのです。
そんなときにでも空想で構いません。「灯」の残光で花が咲いたら、それをたおり、自分にたむけてください。もちろん「暗くなった部屋」の花瓶にさすのもよいでしょう。
部屋に一輪でも花があるとそれが視界に入るだけで、気持ちが和らぎます。空想ですから水をやらなくても枯れることがなく、願えば永遠に咲き続けます。

花を咲かせるための種となる相手は信用できる人であれば誰でもよいと考えています。そして、花の数と種類は多い方が望ましいでしょう。

僕の場合ですが、ロンさん存命時で稼ぎ先を求め究極に自分が苦しんだ時期に偶然出会えた記事がありますので、先にご紹介させていただきます。

人生の不幸の大半は「今の自分は間違いで、本当の人生が他にある」という考えが原因になっています。人生は自分の力で変えられる ―― そう信じていますです。そして「本当なら状況を変えられるはずなのに」とか「もっと裕福で魅力的で幸せな人間になれるのに」と感じて、自己嫌悪に陥ってしまうのです。自己責任という言葉が重要視される世の中で、私たちはつらさや痛みを自分で抱え込んでしまいます。そんな必要はないのに。全力でやったうえで起こったことは、起こったこととして受け入れなければいけません。結果をそのまま受け取り、傷つく必要はありません。チャンスはいつも、思いがけない形でやってきます。
(ハフィントンポスト記事 落ちこぼれの人生を歩いていると思っている皆さんへ より引用)

(訳文ママ「ますです」は誤植だと解釈していますです)
まさしくこれに当てはまっていました。自分はイスに座って営業の資料を書いている場合じゃない!もっと給料くれるところが親戚にあるんだから世間体なんて捨ててすぐ戻れ!

ロンさんを見送った後、知らない書き手と日本語で思い出話に花を咲かせる空想をしました。そうしているうちにロンさんを語ることに慣れ、周囲にも話せるようになりました。

僕はこの「経験者」の方に種をもらいました。今でも記事が消えてもいいようにオフラインに落とし、時間を見て読むことがあります。
立ち並ぶ高層マンションから大学時代にハマった太宰治に背中を押される前にこの記事に出会えてよかったと思います。
僕が気が付けていなかったことの90%はこの文章に埋め込まれていました。はっきり言ってビックリしました。

そんなこともあり灯が消えたことを語るのは傷口に塩を塗るように見えて、実はその塩は「薬」である可能性がある旨をご提案しておきます。
ただ、薬か塩かは塗ってみないとわからないのがこのやり方の難しいところです。

・誰かに散歩に連れて行ってもらう

気分転換とお考えでしょうか、実は違います。
正直なところ我が家でしか実践がないので紹介を躊躇しましたが、関係者の方へのお礼の意味も込めて紹介させていただきます。

家内がTwitterを見ていて「飼っている犬さんの絵をお描きします」というイラストレーター、くまおり純さんの投稿を見つけ即座に発注をしたのです。
発表にあたりいくつか案をご提示いただいたのち、出来上がった作品が以下になります。


転載厳禁です。

くまおり純さんの情報についてはこちら
本人アカウントのTwitterはこちら

くまおり純さんは「はっちゃん」という犬さんの写真を投稿されており。灯を失なった後も虹の麓に自ら赴いてはスケッチで「はっちゃん」とお散歩を楽しんでいるようです。

「散歩に連れて行ってもらう」。この真意は知らない他者さまでも事情次第では「虹の麓まで導いてもらい赴くことができる」ことなのです。
もちろん、プロの方にお願いをするわけですからそれなりの料金がかかります。ただそれまで傍にいてくれた灯の「新しい笑顔」を見ることへ費やしてきた「ごはんやおやつ代」と位置付ければさほど高額ではない場合が多いです。事前にお値段を調べたり聞くことも可能です。

その後、家内がファンでフォローしているイラストレーターさんの沖田良さん、askichiさんにお願いをし「新しいロンさん」に会うべく虹の麓へ導いていただきました。

沖田良さん作 ロンさん

転載厳禁です。

沖田良さんのTwitterはこちら

askichiさん作 ロンさん

転載厳禁です。

askichiさんのTwitterはこちら

「虹の麓ではもう病気など関係ないはずでは?」とお考えの方、その通りです。
虹の麓では車いすはアクセサリーとしてコギさんの間で話題になっているらしいんですよとロンさんから聞きました。

こんなことをしていると次第に時が流れていきます。前回の記事で「人の心はうつろいやすく脆く弱い」と書きました。
一見弱点であるかのように聞こえますが、うつろうことは時として「癒し」につながると思うのです。

こうして幾度となく足を運んでいるうちに自分が深い眠りの中で不意に会えたりするのです。

「夢だった、でも確かにいた」

あの日に消えた灯に流した「悲しい」涙が「温かな」涙に変わった気付きを与えてくれる日が来るのではないでしょうか。
事実、僕と家内は絵が届き箱を開けて作品を眺めながら「ロンさん、おかえり」と涙ながらに声をそろえて口走ったのですから。

僕らが虹の麓に赴くことはそんな難しいことではない、そしてこれは現実からの逃避ではない、と僕は思います。

最後になりますが虹の麓へお導き頂いた、くまおり純さん、沖田良さん、askichiさん、ありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。

コーギーさんと健やかに

僕らは時折、虹の橋の麓へ行ける 〜旅立ちの後(後編)” に対して4件のコメントがあります。

  1. ちゃっぴーの姉 より:

    愛犬がDMを発症しブログをよく拝見していました。
    後ろ足から麻痺が始まり…寝たきり状態になり今朝虹の橋へ渡りました。16歳4ヶ月も生きてくれました❤
    これからもDMで苦しんでる愛犬の飼い主さんに読んでもらいたいと思いました。
    ありがとうございます。

  2. 鈴木 一労 より:

    ちゃっぴーの姉さま
    こんにちは、コメントありがとうございます。
    当サイト初めてのコメントを頂き大変光栄に思います。また、いつもサイトを訪れて頂きありがとうございます。
    DMにコギさんと共に闘ったご苦労、また亡くなられたというお知らせを頂くにあたり、その心中お察し申し上げます。
    16年4ヶ月、頑張ってくれたんですね。
    辛い思いも多々あるのだろうと思いながらも、敢えてこの記事に対してコメントを頂いていることで、ちゃっぴーの姉さま含め周囲の方々の今後を悲観していないかもしれないと感じています。
    もし、他にDMで悩んでいる飼い主さまがいらっしゃいましたら「こんなサイトあるよ」と教えて頂けたら幸いです。
    重ね重ねで恐縮ですが管理人冥利に尽きる温かなコメント、ありがとうございました。
    心身共に疲労も大きいかと思いますが季節の変わり目ですのでお身体、ご自愛くださいませ。

  3. 鈴木 一労 より:

    補足です、コメントの承認が遅くなってしまい申し訳ありませんでした。

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