僕らは時折、虹の橋の麓へ行ける 〜旅立ちの後(前編)

こんにちは、管理人です。

今回は長年連れ添った愛犬を亡くした時の心の持ち方や、不意に襲う寂しい気持ちを和らげる可能性のご提案です。

これはコギさんに限らず、他の動物や大切な人での出来事にも応用が効くと考えますが、人の心はうつろいやすく脆く弱いので、適切な解はこの「後編」を読み終えた後で自分なりに合った方法を編み出すことをお勧めします。
また、もしご自分で対処された事柄がありましたら記事配信のツイートのリプ欄でも結構ですので実例をぜひ挙げていただければ心強いです。

【事務報告】
検査入院の結果が出まして、僕はうつ病じゃなかったことがわかりました。
別の精神疾患があり投薬や認識への対処が18年程、あまり適切でなかったことがわかりました。
自分が甘えているだけじゃないのか、という不安は医学的検査で解消されました。
誤った過去はさておき、新たに挑む一生つきまとう困難に立ち向かっていこうと気持ちを入れ直しました。
許せない主治医は2人いますが。

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本来、もう少し早く配信する予定の記事ではあったのですが最近、運営アカウントのフォロワー様に愛犬を亡くされた方をお見かけするにつけ少し時間をおくべきと判断し、本日の配信となっております。
管理人としてでなく、そのコギさんにも元気をもらって毎日を過ごした一個人として、亡くされたコギさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

掲題の意味については多くの方が知るところかと思われますが、知らない方向けにかいつまんでご説明いたします。

「(詠み人知らず)【虹の橋】ペットの死後、その魂は天国へ通じる虹の橋の麓の広場で苦しんだ病や怪我もなく元気に駆け回れる広場が存在し、かつて一緒に過ごした主人をいつまでもそこで待ち、来たるべき時にその主人の姿と共に虹の橋を渡り天国への道を歩む」

という真実であってほしいとも感じられる伝説が囁かれています。詳しくお読みになりたい方は


をお読みください。幸せな気分になれること請け合いです。

たまにTwitterのプロフ欄で「虹の橋を渡りました」という表現もあり、やや意味合いが異なるのですがそこは優しい目でその意味を汲み取って差し上げてください。

本題です。
実際に体験された方はもちろんのこと、ペットを飼ったことのない方でもその悲哀は相当なものであるということは想像に難くないはずです。
ペットブームが去ってから今頃がまさに老犬から病と戦う時期だったり、亡くなって暫く経った時期に当てはまろうかと街中や公園を散歩する犬さん達の姿を見て感じます。


現在は動物医療のめざましい発展もあってか生き物(主に犬猫)の長寿化が進んでいるように見受けられます。
そしてペットを飼う理由も「実用性」から変遷し皆様も周囲の犬友達さまを見ても所謂「愛玩・癒し」のための存在となっていることが窺えるのではないでしょうか。
管理人自身もそういった側面が多分にありました。

また少子化の進行と並行するように経済的理由から「子供は無理だが共に毎日を過ごす仲間が欲しい」とお考えになる方も少なくないでしょう。

この「思い入れの深さ」こそが共に過ごした仲間を失った「悲しみの深さ」の絶対値になっているようで仕方がないのです。
言葉の通じない生き物に対しできる限りの愛情を注いだ、それにまつわる思い出の数々ともなれば脳内に刻まれたアルバムが時として人心を弱らせる鈍器になってしまうようになりました。
「情(じょう)」というヒト固有の感覚が奇しくも心身に良くない影響を与え、果てには「ペット・ロス」という具現化された単語をも生みました。

アメリカのどこかの州では飼っている犬猫が不治の病に罹ろうものなら、すぐにでも施設に運び込み安楽死という名の「処分」をするという非常にドライな文化があり、オフィスで「今日は僕と犬とのお別れの日なんだよ」という会話が交わされるという話を耳にした時から、管理人は日本に古くから残る終生飼養への固執は捨て去るべきではないという信念が出来上がりました。

たとえそれが不治の病であろうとも、身を捧げてさほど言葉の通じない生き物の命でさえも痛み苦しみを取り除きながら全うさせようと努める温かさは本来生き物に備わっていなくてはならない「本能」だからだと認識したからです。

コーギーさんそのものはヒトが勝手に作り出した犬種です。そんな悲しいエゴから生まれたにも関わらず、僕らに温かい気持ちをいつも届けてくれるコーギーさん達にヒトは作り出したなりの責務があると管理人は思います。

異論はあろうかと思いますが、このサイトのスタンスは常に「提案」であって「強制」ではないので出しかけたその矛は一旦お収めください。

話が少し逸れました。
我が家の一員がこの世を去ったその後で、その寂寥感を多少でも軽減できる方法をこのサイトから提案させてください。

「前編」として長めの前置きとなったのはヒトの心の難しさや断尾や遺伝病などコーギーさんが背負う大変なご苦労、そして何より終生飼養の大切さを訴える必要性を持っているためとお考えください。

前段で紹介した「虹の橋」のお話になぞらえれば、その虹の橋の麓まで実は行くことが可能であり、僕が実際に麓まで赴いた体験を近日「後編」として配信いたします。

それは決して「諦める」だとか「消し去る」という行為ではありません。
またこの本文も立派な「DM対策情報」として定義づけております。

今夜はこれにて、失礼いたします。

コーギーさんと健やかに

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