ロンさん、虹の橋へ
はー、くたびれますねぇ
<はじめに>
今回は完結編ということで悲しい場面が多く出てまいります。
最近悲しい出来事があった方、そのことで気持ちの整理が付けづらい方は心を落ち着けてお読みください。
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2016年も終わりに差し掛かり間もなく仕事納めという日付になりました。
前回は触れませんでしたが、ロンさんの乳腺種は確実に肥大化し空豆の二回りくらい大きい状態となりやや赤く変色、獣医さんの見立てでは悪性に変異した可能性が高いとのこと。
腫瘍の部分からは常にやや黄色い液が染み出るようになり、これを破らないようロンさんを車いすに乗せるのも割と気を使うところで、僕らもある種の悟りを背負いながら去り行く日々を惜しむように過ごしていました。
さすがのロンさんも疲労の色を隠せなくなりつつありましたが、それでも懸命に毎日を乗り越えるロンさんにできる限りのおもてなしで応え続けました。
頭をもたげるのもかなりの労力が必要になり、こちらが膝で支えてあげるようになります。
ほわー、楽ちんなんですよぅ
その日の調子と気候を見て少し長めの外出を考え、表情を窺っては延長、帰宅を選択するということに配慮することになります。
近隣の公園でよく会うようになったのらねこさん、ロンさんがちょっと気になるよう。
ロン「これね、オーダーメイド」
ねこ「マジっすか!」
ようやく迎えた大晦日、
「こんな日々もいつまで続くかなぁ、できるだけ長ければいいなぁ、春なんて来なくていいのに・・」
引っ越しの日取りは決まっていなかったものの帰る実家のリフォームは進んでおり、大晦日という区切りの日をこの街、この道で迎えるのは最後となることになっていました。
散歩帰りの道すがら少し疲れ気味の顔をしてカートに乗っているロンさんを導きながら、僕の中にはやや身勝手な後悔が少しずつ湧き上がっていました。
「僕がロンさんに苦しい思いをさせるだけになるんじゃないのか?僕の判断は間違っていたんじゃないか?」
「僕はただ、自分に負けただけじゃないのか・・・?」
時期は失念しましたがこれより前、家内から一つのお願いをされていたのです。
「ロンさんをこのマンションで看取りたい」
このささやかな願いですら振り切ってしまう自分の弱さを責めに責めづつけていました。そんな事情もあり毎年恒例の年越しそばをロンさんと共に食したものの、リビングの風景がいつもの年末とはまるで違う風景に見えたのを覚えています。
年が明け2017年、ロンさんに少し無理をお願いして初詣。
様子を見に来てくれた犬友達さんたちのお見舞いの気配で気色ばむロンさんの声は、
かすれてしまっています。
毎年恒例七草がゆ、完食。
おいしい、おいしいですよ
(ここから家内の記憶)
が、明けて8日夜、ロンさんの容態がややおかしくなります。ごはんは食べた、ただ少し元気がない、散歩にも連れていけたので、多少調子が悪いのかな?程度でその日が終わりました。
9日、獣医さんがお休みだったこともあり、自宅で様子を見ることになります。そんな事情はお構いなしに衰弱の様子は進んで行きました。おなかを見ると腫瘍とその周囲がさらに赤く腫れあがっていたとのこと。相変わらずいつもの元気がない様子。
10日、獣医さんのところに駆け込みます。腫瘍が悪さをし感染症が起きているということで抗生物質の注射を打ってもらい家に戻りますが状態は依然変わらぬまま、夕方も息はあるものの時間だけが過ぎていきます。フードを口に運んでも嚥下が難しい状態。仕事から戻った僕がロンさんの容態を確かめますが、家内は
「ダメかも・・」
と答えたそうです。
(家内の記憶おわり)
僕は翌日の仕事のため、早めに床にはいりましたが、眠りに落ちる直前にリビングの家内から呼びかけがかかります。目に入ったのは意識を失ったロンさんと、涙ながらにそれは、それは愛おしそうにロンさんを抱きかかえ呼びかけ続ける家内の姿でした。
「ロンさん、僕だよ!ロンさん!」
「ロンさん、ほら、ご主人だよ」
抱き起こされながらも意識を失って閉じていたはずのロンさんの目蓋があがります。眼光はすでに失われていましたが瞳は確実に僕の顔を捕えていました。
「あー、ご主人がいますねー」
それまで朦朧とした表情から一変、安心しきったロンさんの目蓋はゆっくりと降りていきました。家内が呼びかけを続けますが、再びその目蓋が上がることはなく、僕が家内を制します。
「もういい、休ませてやれ」
家内がロンさんの体を横たえた一刻、時計は日を跨ぐ前を指していました。
2017年1月10日、ロンさんは仲間の犬さんたちがいる向こう側に続く虹の橋に逝きました。14歳の誕生日まであと6日というところ。
息をしていないだけのロンさんを見つめている時間は異常とも思えるほど早く過ぎ、そのまま夜を明かしました。日が昇り僕はロンさんが今日も見るはずだった風景を写真に残しておこうと思い立ち家を出ます。
役割を終えた車いす
河川敷へ続く堤防の風景
堤防を降りてすぐ目に入る桜が咲き誇る道
他の犬さんとのホームフィールド
車いすの練習で目標にしたベンチ
あのモミジの木
家内が獣医さんと犬友達さんへ連絡を取ると皆さん、折を見て弔問に訪れていただきお花とお供えのお菓子を沢山頂戴しました。
(遺骸の写真もあるのですが、お辛い方もいらっしゃるかと思いますので非掲載といたします)
と、犬友達さんと思い出話をしているところで電話が入ります。なんと長年お世話になった獣医さんが弔問に来たいというのです。二つ返事でお願いをするとすぐに獣医さんは自宅に駆けつけてくれました。
実はこの獣医さん、ロンさんにとって2人目の獣医さんなのですが、ロンさんが薬の誤嚥で死の淵を彷徨ったときに担ぎ込まれた病院初の重篤患者となり、当時は徹夜で看病を続け、瀕死のところを救っていただいて以来、その後13年経ったこの日に至るまでロンさんの強力な主治医となってくれました。
獣医さんに当時の必死の対応を改めてお礼すると
「はい、昨日のことのように覚えています」
と。
獣医さんにとってもロンさんはやや思い入れの深い患者さんだったのかもしれません。
犬友達さんからペット向けのセレモニーセンターをご紹介いただき、そちらに一連の葬儀をお願いしました。
僕は仕事もあり出席できませんでしたが、完全に人間の葬儀と変わらない対応だったと聞いています。ロンさんは14キロの巨大筋肉質コーギーさんだったので火葬後に粉骨の処理をしていただき、つつがなく葬儀は終わりました。
小さな骨壺に収まってしまったロンさんを見るにどうしても拭えない思いがありました。
「ロンさんは家内の願いを叶えるために気を使ったのではないか」
最期まで良い子でいてくれたロンさんのお骨を河川敷など思い出深い場所に軽く散布させてもらい、必要なくなってしまったケージやカラーは獣医さんのところに寄贈させていただき、僕らは気持ちの整理をつけ2月中旬にマンションから去りました。このマンションに14年程度住み、ロンさんがいなかった時間はわずかに3か月程度、なんだかロンさんがあの河川敷で遊びたくて僕らが呼ばれたような気さえします。
さて、ロンさんの直接の死因はDMではなく感染症ということにはなりますが、やはり加齢による免疫力低下と併せDMの影響も少なからずあったと獣医さんはおっしゃっていました。加えて腫瘍の肥大化を抑える薬がDMの進行を抑える要素があったと聞きました。
DMが直接の死因となるケースであれば、そのまま筋力が失われ自発的な呼吸ができなくなり命を落とすことが多いようです。コーギーさんが息苦しそうにしている場合は一時的に仰向けにするか腹部を圧迫しないよう空間を作ることを意識するのだろうと考えます。
DMは体力も精神力も奪っていくので他の持病をお持ちのコーギーさんには十分に悔いの残らない(といっても難しいんですが)ケアをなさってください。
3か月の長きにわたりましたが我が家のロンさんのDM闘病記はこれで完結となります。今後はこのサイトをもう少し役立つ形に再構築し皆様のお役に立てるよう努力してまいりますので、是非ともお力をお貸しください。
ここまでお読みいただいた方、並びに僕を支えてくれたロンさんとそれに関わる皆様、家内に改めてお礼申し上げて、ご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。