DM介護におけるダメな飼い主の例
こんにちは、管理人です。
検査とはいえ生まれて初めての入院を体験してきました。
精神病棟なので皆さん当然に上辺だけは優しく扱ってくれました。
結果は郵送で来るとのことで、待ち遠しいやら不安やらは特にないです。
退院時に「ほぼ確実に精神疾患があります」と言われたので「僕は甘えなんかじゃなかった」と安心したくらいです。
投稿がお約束の日から1日遅れてしまいました、お詫びいたします。
体調不良によるものです。今日は多少動けるのでパソコンを立ち上げ記事を書いております。
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さて本題です。
前回の記事でも申し上げましたようにDMコギさんの介護というものは「寝たきり」になってからが本番です。当のコギさんはもちろんのこと、コギさんを取り巻く家族の方々への影響は思いのほか大きいものとなります。
今回はあるDMコギさんの介護時の話を基に「適切ではないDM介護の例」をご紹介したいと思います。
寝たきり犬介護の重圧
このご家庭は夫婦2人だけ、パパさんが仕事、ママさんはパートに出ていたもののコギさん介護のためパパさんの依頼で仕事を辞め介護に専念していました。パパさんの仕事は転職をしたばかりで覚えることも多く、仕事によるストレスも加わり疲弊した表情で家に帰ることもしばしば、それでもなんとか踏みとどまっているという状態。
DMが進行し寝たきりになったコギさん、他のコギさんと同様に様々な試行錯誤の末、ようやく飼い主さまもコギさんもある程度は平穏に暮らせる環境を整えられ、しばらく経ったある日のことでした。
ご家庭ではママさんがつきっきりでコギさんの介護をしており、散歩に出るには4輪の車いすと運搬用のベルトが必要。排泄は外で済ませるタイプのコギさんでおむつは履かせず、大便も屋内で起きたときにはそのまま処理する方式をとっていました。
パパさんは余裕のある状態であれば散歩に同行し、少しでもママさんの心身の負担を軽くしようと協力していました。ただ、仕事上の負荷やコギさんの行く末を不安視するあまり心身に余裕がなくなってきており、散歩に同行するとかフードを代わって作ることができる頻度が落ちてきたときの出来事だそうです。
吐き出す場所がない想い
ママさんはパパさんの介護に対する態度が徐々に非協力的になっていくことを咎めることが多くなり、夫婦間でやや不穏な空気が漂っていました。
事件はある冬の寒い日に起きました。
ママさんが夕方の散歩の支度で着替えを始めます。が、パパさんは一向に動こうとしないのです。ママさんは当然にパパさんに言葉を投げかけます。
「散歩、いかないの?」
背中を向けて横になっているパパさんは黙ったまま。パパさんはその時、ママさんの口調には相当にトゲを感じたそうです。大人と言えども人間です。反発したくなる気持ちをぐっと堪えて、無言で重い体を持ち上げジャージとマフラー、ニット帽に身を包んだそうです。
家を出てから無言で排泄後の水まきや車いすの誘導をこなしたパパさん曰く、その時の散歩はそのコギさんとの散歩で「一番楽しくなかった時間」だったと。
「お前は家にいて家事と介護以外テレビばかり見てるだけじゃないか」
「どうして疲れた俺に協力を強要するんだ」
「なぜ俺ばかりこんな目に遭わなくちゃいけないんだ」
散歩の間じゅう、そんなことばかり考えていたそうです。そりゃ散歩も楽しいはずがありません。そんな中でも見上げた空の星が綺麗だったことを覚えているとも言っていました。その対比が余計に自分が置かれた立場の不満を大きくしたのでしょう。
事件発生
散歩を終え家に戻り、いつものように玄関で車いすのゴミ取りと潤滑油を差しメンテを終えてもパパさんは無言でした。しばらくうつむき押し黙るパパさんにママさんが言葉を発します。
「なにやってんの、早く(車いす)上げてよ」
パパさんの心に充満していた不満のガスが「なにやってんの」という種火によって引火し爆発しました。ゆっくりコギさんを乗せたままの車いすを部屋に挙げた後、パパさんは持っていたおしっこを流すためのボトルを床に投げつけ、ママさんにつかみかかります。
ママさんも無言で反撃を試みパパさんの眼鏡を飛ばしました。無言で続くつかみ合いの中で、落ちた眼鏡が踏まれて曲がります。
「なにすんのよ!」
突然つかみかかられたママさんが怒るのも当然です。突き放されたパパさんは未だしゃべらず、曲がった眼鏡のアームを直し始めました。パパさんは車いすに乗ったままのコギさんに一瞥をくれ、無言で力なく座り込みました。
その後、自分がママさんに何か言葉を発したかまでは覚えておらず、どうやってその後の修復をかなえたのか、毎日の仕事をこなしていたのかまでは覚えていないそうです。
唯一確実だったのはコギさんは困惑した表情をしていた、ということだけで「すまないことをした」と思う気持ちもなかったと話します。
失われた温もり、戻る
次の日からパパさんはしばらくの間、寝たきりになったコギさんを疎ましく思うようになりました。ただ同居人に文句を言われたくない、という上辺だけの気持ちで極めて事務的に散歩や介護の手伝いをしていたといいます。
月日は流れ、パパさんは仕事を終えた家路で手に持ったスマホをミスタッチし、写真のアプリが立ち上がりました。前足に包帯を巻き、車いすに乗ったままでも笑顔を見せているコギさんの写真に目が行ったようで、奇しくもその操作が今日までのコギさんとの生活を振り返るきっかけとなりました。
その頃はコギさんを横たえる寝具が合わず床ずれが前足の両肘に起き、抗生物質を投薬をしても悪化する一方。塗り薬を併用しても傷に沁みるのか、コギさんは薬を塗るときは力の限りに嫌がり暴れます。
上半身はまだ元気な頃だったそうでママさんが薬を塗り終え包帯を巻くまでパパさんが必死に抱きかかえ、常に噛みつかれる恐怖と闘っている最中「こんな生活、もう嫌だ・・・」と自分の境遇を声に出し嘆きながらコギさんの死を一瞬願ったそうです。
その時のママさんはひたすらに無言で薬を塗り、包帯を巻く作業を終え、ママさんは嘆いたことを咎めたりしなかったことで余計に我慢できなかった自分が恥ずかしく思えたのと同時に、もっとそのコギさんに寄り添い穏やかな生活を送らせてあげるべきだ、と心を入れ替えたそうです。
そして何よりも一瞬とはいえ愛犬の死を自ら考えたその罪深さを反省した、自分はダメな飼い主だったと話してくれました。
「命を預かる者」として
その後パパさんはコギさんやママさんにキツく当たることも格段に減り、献身的な介護を心掛けるようにしたと話します。残された日々がどれだけあるかわからなくてもその不安は贖罪と感謝の念で覆い尽くし、健やかなコギさんとの日々を願って過ごしたことも話してくれました。
パパさんが最後に語った言葉ですが命を預かる者としての責任を果たすことこそが傲慢な人間に課せられた義務なんじゃないか、ということでした。
そのコギさんは最終的に幸せな亡くなり方をしたそうですが、その後パパさんはその贖罪と感謝の記として同じDMとの闘いを余儀なくされているご家庭の一助になればと「コーギー変性性脊髄症対策本部」というホームページを立ち上げ、更新を続けているそうです。
「『夫婦喧嘩は犬も喰わない』っていうけど、あれ本当だね、自分には介護に立ち向かう覚悟が足りなかったし、飼ってる犬に死ねとか、最悪の飼い主だよね」