DMが遺伝病であることで

初めてこのカテゴリに投稿する時にはこの内容で、と決めていたので。
この記事は管理人独自の考え方であり、一般的な意見としては当てはめにくいということを先に申し述べておきます。

変性性脊髄症(以下DM)が遺伝的な病であること、現在では完治の手立てがないことについては当サイトを幾度もご覧いただいた方はご存知いただけていると思います。

遺伝的な病、これが発生する根源的理由は大局的に見てヒトの病理に当てはめてもなかなか解明が進んでおらず、発生率も重大であるほどではないため研究が為されていない現実があります。
それでも岐阜大学様のように何とかDMの発生原因を突き止めよう、防ごうと研究していただいている現状があるのはとても幸福なことであり、1秒でも早く良い知らせが届くのを無知な僕らは待つしかないのです。できるとすれば寄付か献体ぐらいしかありません。
(献体は2021/6/2から中止になりました 2021/6/5追記)

率直に言いますがこのサイトを立ち上げるにあたり覚悟したことがあります。
このサイトが邪魔であると感じる人間が将来現れるだろう、ということです。
もしコーギーさんの人気が(日本に限らず)高まり飼養の需要が増えた時、この病を知られると「売る側」が困るのです。

現在は動物に対する法整備も少し進み、悪質なペット繁殖業者は地下に潜った形で見えなくなったかに感じますが、撲滅するには至っていません。
ロンさんは個人のブリーダーさんから譲り受けた犬さんなのですが、ブリーダーという形態も考えて行かねばならないと思います。

ロンさんは7匹の子をもうけ1匹は悲しくも死産となりましたが、6匹とも里子に出て行きました。子供たちの誕生日には里子としていただいた飼い主さまと家内が連絡を取り毎年可能な限りでお誕生会と称し、子供たちとその飼い主さまにご足労いただき交流の場を作らせていただいてました。
ただ1頭は遠方に引き取られたため、お会いできたのは1度だけでした。

子供たちの様子はどうか、ご家族との仲に問題はないかなど雑談を通じて現状を確認することもサイドの目的としてあったのではないかと思います。ただその頃DMの存在を知りませんでした。
新しく生まれてくるコーギーさんの4割はDMのキャリアであるという説もあります。単純に考えればロンさんの子供の2匹はDMのキャリアであった可能性があります。
幸いにして子供たちははっきりとした発症がないまま天寿を全うしたということが確認できてはいますが、無知な僕はもしかしたら非情な負担を他の方に背負わせてしまっていた可能性があったのです。
反省しました。

(お誕生会でいただいたケーキを待たされるロンさん)

ロンさんは血統書に記録されている犬さんです。一昔前は「血統書つき」などと前置けば何となく箔がついたように思われていた言葉ですが、別段これは犬さんの健康状態を保証するものではなく単に犬さんの家系図を残しているに過ぎないのです。

では、人間はこれからどうしていくだろうか。ということに想いが及びます。

遺伝子検査が現在では簡易に可能になったことをご紹介していますが推奨しているわけではありません。
悲しい結果を知りたくない、遺伝子検査なんて不毛、自然じゃない等、これらの理由も理解できるからです。

ただ「動物のお医者さん」がブームとなりシベリアンハスキーの捨て犬が問題となったように、「アイフル」のCMでチワワが爆発的に出回ったように、人間は強欲で狡猾であるが故に同じ残酷な命に対する過ちを幾らでも繰り返します。
それが一財築ける儲け話となれば人間以外は命を持つものと思わなくなる者が現れるのでしょう。

生きとし生けるものの全てに死が訪れる、これは避けようのない事実です。

ただその死を悲しいものとして起きる状態があることを見過ごすべきではないと思います。ヒトさんだろうが犬さんだろうが同じです。

現在ペットショップでは遺伝子検査を事前に行い遺伝病のない(クリアな)生体を販売することに注力を始めたようですが、ではその過程で生まれる遺伝病の可能性を含んだ生体はどうなってしまうのでしょうか?
その場で殺処分でしょうか、あるいはそれを隠して、もしくは公にして安価で販売するのでしょうか。これは憶測でありその先を調べるつもりはありません。
世界のある地では遺伝子からクローン犬を作ることができた、というニュースも最近耳にしました。

人間の全てが「飼わなければよかった」と思わせない状態は不可能です。ただ、その数はできるだけ減らしたいと考えています。正直「飼う」という言葉も使いたくないのですが、一般に意味が一番通るのでやむなく使っているという状態です。

ロンさんにいろいろ教えられて僕は今を過ごしています。僕の病気が本格的に再発してからは生き物に対して向ける眼差しは明らかに変わりました。
肉や魚を食べる時、特に感じます。「(命を)いただきます」という気持ちを忘れたことはありません。

「僕は今こういう気持ちでいる」というものを綴ってきました。
多様な意見があっていいと思いますが、命ある者に対し出来るだけ寄り添ったものが多くあることを願って止みません。

長くなりました、お付き合いいただき、ありがとうございました。

コーギーさんと健やかに

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